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ファンはお見逃しなく。加藤和彦の遺品の洋服や靴の写真が公開されています。「加藤和彦 世紀の伊達男伝説」(「MEN'S Precious (メンズ・プレシャス) 2010年 11月号」)

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 株式会社ワーナーミュージック・ジャパンの代表取締役社長 兼 CEO吉田敬が自死。 

 エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社の松浦勝人とともに、私と同世代の、ビジネスとしても成功を収めた「ミュージック・マン」として注目していただけにびっくり(ちなみに吉田敬はご本人曰く父親が税理士をされていたとのこと)。

 今野雄二もそうですが、彼らに何らかの影響を与えたかもしれない加藤和彦の死からちょうど1年が経とうとしていますが、加藤和彦の遺品の洋服や靴の写真が公開された特集、「加藤和彦 世紀の伊達男伝説」掲載の、「MEN'S Precious (メンズ・プレシャス) 2010年 11月号」が発売。

 小学館の新雑誌のようですが、加藤和彦ファンの方はお見逃しなく。

■学生時代からの盟友、松山猛が寄稿

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 ザ・フォーク・クルセダーズの革命的シングル、「帰って来たヨッパライ」、アルバムサディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)の傑作アルバム、「黒船(Black Ship)」(1974年11月)の作詞家であり、加藤和彦の学生時代からの盟友、高橋ユキヒロと3人で洋服ブランド、ブリックス(Bricks)を立ち上げたこともある松山猛が、「加藤和彦のダンデイズム。その吸収力と脱皮」と題した文章を寄稿。

 加藤和彦の母親や父親の話、加藤和彦に頼まれてアフガン・コートを買ってきた話など、松山猛ならではの話が面白い。

 松山猛も、「anan」、「平凡パンチ」、「POPEYE」、「BRUTUS」の編集者、ライターとして活躍した頃、「僕的東京案内」(1983年)というガイド・ブックを執筆しており、加藤和彦とともに当時は一歩抜き出た洒落者ぶり。

 学生だった私も小生意気に、「僕的東京案内」片手に、当時鈴木慶一御用達だった原宿の「カル・デ・サック(CUL-DE-SAC)」なぞに行ったりしたなぁ。

■松山猛が語る1970年代の加藤和彦のファッション

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 実は、 松山猛は、その昔、雑誌「POPEYE 1980年12月10日号」で、「この10年間の風俗的変化はだいたい次のようなものでした。」という記事で、1970年代の加藤和彦のファッションについて言及。

 1972年の長髪にサンフランシスコのサイケデリックの影響を受けたファッション、1973年の狼カットにグラニー・テイク・ア・トリップのサテン地スーツのグラム・ファッション、1975年ミカ・バンド後期の短めの横分けにイタリア風味のファツション、1977年のソロ第2期のパーマ・ヘアにアディタスのスポーツ・フッション、1979年のパパ・ヘミングウェイ時代の一段と強くかけたパーマ・ヘアにイタリアン・ファッションの各時代の写真が、松山猛の解説付で紹介。

  「MEN'S Precious (メンズ・プレシャス) 2010年 11月号」の「加藤和彦 世紀の伊達男伝説」では、1970年代の加藤和彦のファッションについての言及が少ないのでファンはこちらも必見。

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 なお、このPOPEYEの記事は、加藤和彦トリビュート・アルバム「Catch35」(2003年)の安田謙一のライナー・ノーツに転載されていますので、入手はこちらの方がやさしいかも(ただし、松山猛の文章を読むには虫眼鏡が必要ですが)。

 以前に当ブログでもご紹介した「文藝別冊 加藤和彦 あの素晴しい音をもう一度 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)」(2010年2月で、安田謙一が「平凡パンチ」、「an an」、「POPEYE」、「BRUTUS」の発行元、マガジンハウスに、加藤和彦の写真集を出してくださいと言っていましたが、私も大賛成。

 もちろん、解説は、松山猛で。

■「加藤和彦 世紀の伊達男伝説」(「MEN'S Precious (メンズ・プレシャス) 2010年 11月号」)

 本記事の注目は、松山猛の寄稿、加藤和彦(著)「加藤和彦ラスト・メッセージ」(2009年12月)の聞き手・構成だった、松山猛の元アシスタントの松木直也の寄稿もそうですが、何といっても加藤和彦の遺品の洋服や靴の写真。

 洋服は、ファーラン&ハービー(FALLAN&HARVEY)やストワーズ(Stowers)のビスポーク・スーツ他。

 靴は、「レイジー・マン」と呼ばれるイミテーション・シューレース(靴ひもが飾りだけのスリップ・オン)のジョージ・クレバリー(GEORGE CLEVERLEY)やベルルッティ(Berluti)のビスポーク・シューズ他。

 面白いのは、VITAMIN-Q用のファーラン&ハービー(FALLAN&HARVEY)であつらえたモッズ・スーツ。

・You Tube上のVITAMIN-Q「THE QUEEN OF COOL」のプロモーション・ビデオ(PV)

 http://www.youtube.com/watch?v=rNObI2n_UWY&feature=channel

 同記事によると、加藤和彦は、ファーラン&ハービー(FALLAN&HARVEY)で10年間で100着もオーダーしたらしく、「散財日記」松任谷正隆もおそらく及ばない恐怖の散財ぶり。

 確か、夏物のスーツは気候が温暖なイタリア物が良いと、船橋幸彦のサルトリアイプシロン(Sartoria Ypsilon)(最近ミラノから東京に拠点を写し、銀座三越に店舗を出したとのこと)にオーダー、ファーラン&ハービー(FALLAN&HARVEY)に傾倒する前は、吉田十紀人が在籍していたブレイズ・オブ・サヴィルロウでもオーダーしていたと記憶しますが、そのあたりの関係者からの逸話も欲しかったところです。

■「モーレツからビューティフルへ」の時代のファッション・リーダーとしての加藤和彦

 個人的には、晩年の英国紳士スタイルよりも、1970年代~1980年代、加藤和彦が出演したCMではないですが、「モーレツからビューティフルへ」の日本のファッション黎明期のファッション・リーダーしての加藤和彦が何と言っても魅力的。

 今は皆が馬鹿にするであろう、ソフト・スーツと呼ばれたアルマーニやバルバスのロー・ゴージのゆったりめのスーツ、アルマーニやバグッタのナロー・カラー風のシャツ、アルマーニやGMの結び目の小さなネクタイといった、1980年前後の「BRUTUS」由田晃一スタイリング的世界が一番似合っていたような気も。

 坂本龍一が湯山玲子との対談「男女公論」で、「食も音楽もファッションもそうだけど、フランス然り、ローマ帝国然り、あぶく銭持って使うことに慣れないと、文化って繁栄しない」として日本のバブル肯定派だと言っていましたが、そんな高度成長期からバブル経済期にかけての時代の寵児、加藤和彦の洒落者ぶり、改めて讃えさせていただきます。

 

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